

この度は、
「毎日LINEを開くだけで、完全未経験から在宅でしっかり稼ぐ方法が分かる!たっちゃんのプログラミング講座」
にご参加いただきありがとうございます。
この講座は、以下のような方には、かなり役立つ内容となっております。
・クラウドワークスを使って、おうちでしっかりと収入を得たい!
・クラウドワークスで月5万円以上の副収入をスキマ時間を使って稼げるようになりたい!
・時代に流されないスキルを身につけて、高収入を得られるようになりたい!
そして何よりも、
クラウドワークスやランサーズなどであまり大きく稼げず苦戦している方には、
かなり参考になる内容となっております。
この講義は全部で6回となっています。
6回を読み終えた頃には、
かなりプログラミングの知識が身につくようになっており、
見える世界が変わると言っても過言ではありません。
「この講義を読んでから、在宅で月30万円稼げるようになりました!」
「本当に参加して良かったです!人生変わりました!」
「最初にこのお仕事をして良かったです!」
などのメッセージをたくさん頂いている大好評の講義となっています。
ぜひ、楽しみにどうぞ。
そして、
クラウドワークスでお仕事されている方は、
必ず6回分終わってから納品してください。
(たまにこの1回目の講義のアンケートにだけ答えて納品してくる方がいらっしゃいますが、検収はできかねますのでご注意ください)

私は山本達也と言います。
今はプログラミングで月70〜80万円くらいをお家で一人で稼いで、
自由に生活しているプログラマー(エンジニア)です。
このほとんどの金額はクラウドワークスから案件を取って稼いでいます。
このようなことを言うと、
「怪しいなー」
「そんなに稼げるの??」
なんて思ってしまいますよね。


過去の私も
「クラウドワークスでプログラミングで大きく稼げるなんて、できるの…?」
と思っていたので、気持ちは痛いほどに分かりますが、
しっかり実践すれば完全在宅でも、
カフェでも旅行先でも、
場所を選ばずにプログラミングで稼ぐことは難しくありません!
そして、この講義では、
そんな私がプログラミングについて、
完全初心者向けに優しく解説していければと考えています。
プログラミングで稼げるようになると、
・クラウドワークスで1件10万、20万の仕事を大量に取れる
・会社勤めする必要がなく、家でお金を稼げて自由
・人間関係のストレスを感じることなく、のんびり働ける
・嫌な上司や面倒なお客さんもいないので、心が落ち着く
・やればやるほど、収入が増えていく。月50万、60万なども可能な世界
などのメリットがあります!
実際、私は今は朝起きる時間も自由ですし、もちろん寝る時間も自由に決められています。
「明日も仕事か〜」と言いながら、早めに寝る必要もないですし、
満員電車に乗って通勤するということも無縁の状態です。
朝はゆっくり起きて、優雅に紅茶でも飲みながら、
パソコンを開いて仕事したりできています。
それで、クラウドワークスでお仕事を取って、
1件20万のお仕事などでも採用されるので、
本当にストレスフリーです。
温泉旅行しながら、
プログラミングでお金を稼ぐことも可能なので、
本当にストレスなく過ごせています。
そして何よりも、
クラウドワークスで月80万円くらい稼げていることにより、
将来へのお金の不安も無くなっています。
今後も稼ぎ続ける自信があるし、どんどん収入も増えていっています。

ただ、このように書いていると、
「たっちゃんさんの生活はいいですね」
「でも才能があったから、そんなことできるんでしょ??」
なんて声をいただきがちです。

しかし、
私の過去はプログラミングとは全く無縁の人生でしたし、
何よりも本当に辛い人生で、
もともと私はこの世の中を器用に生きてきた人間でもありません。
本当に底辺みたいな人間でした。
本来は、クラウドワークスで月70万、80万と稼げるような人間ではないと思ってますし、
本当に時代に恵まれたと思っています。
というわけで、
まずは私の自己紹介を今から詳しくさせていただきますね。
これを読めば、クラウドワークスとプログラミングの可能性が理解できるかと思います。
それでは、じっくりとお読みください。
【目次】
1、友達が1人もできなかった暗黒の少年時代 2、大好きだったおばあちゃんの死 3、会社に入って全てに絶望し、自殺を考える 4、クラウドワークスなんてもう二度とやりたくない… 5、詐欺で騙されて貯金をすっ飛ばす 6、なぜ、たっちゃんは、プログラミングを選んだのか? |
1、友達が1人もできなかった暗黒の少年時代
私は今ではクラウドワークスで70万、80万と稼げていますが、
過去の私は本当にひどかったです。
私の少年時代は本当に今思い返してみても、「暗黒の時代だった」と思います。
他の人から、よく小学生の頃の話とか聞くと、
「小学生の頃は良かった」
「中学生の頃は楽しかった」
「高校生の頃は本当に毎日が充実していた」
なんて話を聞いたりします。
ただ、そういった話を聞いて毎回、私は辛くなったりしていました。
なぜなら、そういった学生時代の良い思い出というのは、私はほとんどないからです。
その理由はたった一つです。
人と全然仲良くなれなかったのと、
それで友達ができなかったことです。
「どんな人でも一人は友達がいたのではないか」と思いますが、
私の場合はできなかったのです。
例えば小学生の時、当時は友達を作りたくて、勇気を出して自分から話しかけたりしていました。
しかし、話しかけてみても、深い関係に全くなれなかったのです。
当時の私は本当にコミュニケーションが苦手で、
会話が全然うまくできなかったのです。
どう返答していいのか分からず、
どもったりすることが多くありました。
そんなこともあってか、
学年が上がって、前のクラスの人と同じクラスになっても、
友達だと思われてないことが多かったです。
最初はクラスが変わったら、
前のクラスで一緒だった人とまずは一緒にいたりしますが、
私の場合はなぜかそのようなことはなかったのです。
大勢の人が話しているところに入っていっても、
全然相手にされなかったり、
相手にされたとしても変にいじられて終わりでした。
休み時間になっても、誰にも話しかけてもらえず、
「誰か話しかけてくれないかな・・・」
と思いながら、ずっと机で寝ていました。
しかし、毎回休み時間に眠っているのは変なので、
・休み時間にトイレに行きまくる
・一人でいると恥ずかしいから、とりあえず、誰かの話に無理やり入る
・とりあえず笑ったりと、オーバーなリアクションをする
という感じで、本当に苦痛な毎日を過ごしていました。
ただ、そんなことをしても当然、友達ができるわけもなく
「どうして人と仲良くなりたいのに、それができないんだろう・・・」
「どうして自分はこんなにもコミュニケーション能力が低いのだろう・・・」
と、本当に悩んでいました。
私が休み時間に唯一みんなと過ごせたのは、
ドッジボールの数合わせで呼ばれる時だけでした。
みんなが「ドッジボールやろうぜ!!」と盛り上がり、数合わせで呼ばれるだけ。
しかもその時は、「ドッジボールやろうぜ!」と直接的には言われず、
「ちょっときて」と言われるだけでした。
そうして、特に運動も得意ではなかったので、いつもひたすらボールを避けまくっていました。
いつも学校から帰ってきて、何もすることがない私は、
本当に小学生ながらうつ病のようになっていましたし、毎日に絶望していました。
自分は一人なんだな・・・と。
クラスで楽しそうにしている同世代の子を見ると、
羨ましすぎて仕方ありませんでした。
ちなみに私の親は、「とにかく勉強しろ」としか言わない人でした。
親が子供の頃は特に勉強なんてしていなかったらしいので、
あまり説得力がなかったのですが、
耳にタコができるくらい毎日言われていました。
「なぜ親は、毎回『今やろうとしてたのに』というタイミングで、自分の部屋に入ってくるのかな・・・??」
とよく思っていたことを思い出します。
いつも親は分厚い参考書を大量に買ってきて、私にこれをやりなさい!と押し付けてきていました。
そして当時の私はやらないと怒られるから、
「とりあえず、机の上におく」といったことをしていました。
今思えば、自分の将来を思って、
親は勉強しろと言っていたのだとわかりますが、
当時の自分にとっては本当に苦痛でした。
当時の私は、
・学校に行っても友達が1人もおらず、ずっと机で寝てるだけ
・家に帰ると、「勉強しなさい」と言われて、黙々と1人で参考書を解き続ける
という状態でした。
・なんで、自分は他の男の子のように毎日を楽しめないのか?
と思わざるを得ませんでした。
辛い毎日が今後もずっと続くのであれば、
死んだ方がマシなのではないか?と考えていたほどです。
そして、そんなことを考えているからか、
学校ではとても暗くなっていましたし、
そのせいでさらに友達ができにくくなる
といった負のループを繰り返していました。
本当に辛かったです。
しかし、そんな私でも、唯一信頼できる人がいました。
それは、おばあちゃんです。
私が辛い時も、毎回励ましてくれていたおばあちゃんがいたのです。
「たっちゃんはそのままでいいのよ。」
「今のままの、たっちゃんが、私は大好きだよ。」
と、いつも私に言ってくれていました。
「何かあったらいつでもいいなね。」
と優しく声をかけてくれるのです。
他にも、「勉強が苦手でも大丈夫」、
「友達がいなくても大丈夫」
と励ましてくれたりもしてくれていました。
私はそんなおばあちゃんが大好きでした。
小学生の頃は、よく好きだったメロンパンを買ってくれていたことを、覚えています。
美味しそうにメロンパンを食べている私を見るのが幸せだと言ってくれたこともありました。
私も、いつでも優しい言葉を投げかけてくれるおばあちゃんが大好きでした。
悩み事をおばあちゃんに相談すると、
「たっちゃんがやりたいことをしたらいい。」
「いつか、とても仲のいい友達ができる」
と言ってくれたり、優しく励ましてくれるのです。
おばあちゃんだけが、私にとってはこの世で唯一の味方なんだと、
本気でそう思っていました。
小学生の頃、
剣道をしたくなり、習いたい!!と言ったけど、親が反対したことがありました。
「なんだ、できないのか・・・」
と落胆していましたが、
おばあちゃんが剣道をさせてあげるということで、
高い初期費用を払ってくれて、無事に始められたこともありました。
当時はなぜ剣道ができたのか分かっていませんでしたが、
後になっておばあちゃんがお金を払ってくれていたことを知りました。
本当に今思い返しても、優しいおばあちゃんでした。
ただ、私は中学になって、
生活環境がガラリと変わってしまいました。
ある大事件が起こったのです。
なんと、私の父親がパチンコにハマってしまい、
当時、家庭にあった貯金をほとんど全て溶かしてしまっていたのです。
後で聞いたら、何度も「負けを取り戻すために仕方なくやったんだ・・・」と言っていましたが、
そんなことよりもヤバかったのが、そのせいで借金までしてしまっていたことです。
その額は300万以上。
そして、気づいた時には父親の借金が500万を超えていました。
「これはやばい・・・」と家族全員で、
焦りに焦りましたが、
父親はある日、家から出ていき、いなくなってしまいました。
そんな状況に陥り、毎日のように取り立ての人がきたり、電話がなったりしていました。
「払えよ?払えないのか?ああ???」
と玄関前で怒鳴られ続けたり、
「逃げてんじゃねえ!明日もくるからな!」
と怒鳴られて私は恐怖のあまり、
押入れに一人で隠れるようになりました。
別に、
家に入ってくるわけでもないのに、怖くて怖くて仕方がなかったのです。
そのせいで、私の母親は次第に精神をやられ、
ついに入院することになってしまいました。
父親が蒸発してしまったことで、
母親が借金500万を肩代わりすることになってしまい、
そのせいで精神をやられてしまったのです。
いつの間にか私の母親は精神病院に入院することになり、
誰も稼げない状況になり、一家は破産しました。
そして、しばらくは生活保護をもらって生活することになるというくらい、
困窮し始めてしまったのです。
そんな状況を見かねたおばあちゃんが、「たっちゃんは私が育てる!!」と言い始めました。
私はその出来事があってからは、
ずっとおばあちゃんの家で暮らすことになったのです。
これについては本当におばあちゃんに感謝です。
高校時代になると、
流石に勉強しないと将来がやばいということを認識し始めたのと、
周りがみんな塾に通っていたこともあり、私も塾に入りたいと思うようになりました。
そして、「塾に入りたい!!」とおばあちゃんに頼んでみたことを覚えています。
もちろんおばあちゃんは、「いいよ!」と、快く承諾してくれました。
ただ、当時の私は塾に通ってみたものの、
実際には中々やる気が出ず、適当にやってしまっていました。
塾に通わせてもらっているのにも関わらず、
勉強が苦痛すぎて、
サボったりして、ろくに勉強していなかったのです。
(今思うと、本当に申し訳なくて、涙が出ます)
そして、ただただ眠くて、全然授業も聞かない状態になっていました。
「なんかだるいな・・・」という理由で、塾でぼーっっとしてたら、
全然成績が上がらずに、
東京の適当な大学に進学することになってしまいました。
しかし、そんな私でも、おばあちゃんは優しく、
全力で大学を受かったことについて褒めてくれました。
「よかったねえ」と。
第一志望ではなく、適当に受けた滑り止めの大学なのにです。
全力で褒めてくれたことは、私にとっては本当に嬉しくもありました。
でもそれと同時に、もっと本気で頑張れば良かったと思いました。
ただただ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
「どうしてもっと必死に勉強しなかったんだろう・・・」
「塾にまで通わせてもらったのに・・・」
と、一人で部屋で泣いてしまっていたことを覚えています。
(今はクラウドワークスでこれだけ稼げるようになってはいますが、本当に昔のことを思い出すと、申し訳ない気持ちになります・・・)
2、大好きだったおばあちゃんの死
そして大学に入った頃、上京して一人暮らしをしました。
一人暮らしを始めたといっても、やはりずーっとおばあちゃんの世話になっていました。
定期的に送ってくれる仕送りでは、
野菜とメロンパンが入っていました。
「野菜とメロンパンはいらないよ」と言っても、毎回入っていたことを覚えています。
そして、いつも、手書きの文章と一緒に送ってくれていました。
「別にそこまでしなくていいのにな・・・」と思いながらも、
机の中に大切にしまっておきました。
いつでも自分に対して優しいおばあちゃんに対して、
「いつかおばあちゃん孝行したいなあ」と思っていたことを覚えています。
そのくらい、毎回仕送りを送ってくれていたことには、感謝していたのです。
そして、休みのシーズンになると、たまにおばあちゃんちに帰って、
・やっと友達ができて、大学が楽しいこと
・所属しているサークルのこと
を楽しく話していたりしました。
おばあちゃんは喜んでいたことを今でも覚えています。
そして、大学4年生になり、就活を無事に終えて、
良さそうな会社に内定したので、それをおばあちゃんに伝えようとしました。
ただ、その時は「まあ1週間後くらいに伝えればいいか」くらいに思っていました。
そして、
今でもこの時の決断を、
死ぬほど後悔しています。
「まあ1週間後くらいに伝えればいいか」といった感じで毎日を過ごしていると、
ずるずると時間がすぎていって、
ある時に電話がきてしまったのです・・・。
「たつやさんでしょうか?」
聞きなれない言葉だったけど、次の言葉で全てを察しました。
「〇〇病院の〇〇と申します。たつやさんの祖母である”ちよ様”なのですが・・・」
この時、私は心臓がバクバクしていました。
まさか・・・
おばあちゃんに何かあったのか??
と。
「これからおばあちゃん孝行したかったのに、一体自分は何をやってるのだろう・・・」
「わかってたはずじゃないか・・・おばあちゃんが長くないということを・・・」
と、頭の中でこんな想いが駆け巡っていたことを覚えています。
私はいつもの毎日が続くと思っていたのです。
そんなことはないのに。
本当に私は馬鹿でした。
そうして、何も恩返しできないまま、
おばあちゃんは息を引き取ってしまいました。
私は絶望しました。
おばあちゃんが亡くなったことを知って、涙がとまりませんでした。
「一体、おばあちゃんに私は何を返すことができていたんだろうか・・・」
と。
いつも優しくしてくれたおばあちゃんに、
何も恩返しができないまま、亡くなってしまったのです。
内定した会社のことも告げられずに、終わってしまったのです。
辛すぎて私は、悔やんでも悔やみきれませんでした。
これから会社で働いて、それで得たお金でおばあちゃんに対して恩返しをしようと思っていたのに、それが何もできずに終わってしまったのです。
そこからは、呆然としながら残りの大学生活を送り続けて、何となく過ごしていました。
というか、
おあばちゃんのショックが大きすぎて、
まともに生活することができませんでした。
そして、おばあちゃんからの仕送りがなくなって、
いつも送ってくれていた野菜やメロンパン、
そして手書きの文章が来ることがなくなり、
「そっか・・・。もうあのおばあちゃんのメッセージも見れないんだな」
と1人で泣きじゃくってしまいました。
「いつでも自分を守ってくれていたおばあちゃんはもういない・・・」
「自分はもう一人なんだ・・・」
と思うと、胸がはり裂けそうになっていたのでした。
親孝行したい時に、親はいない
私はこのことを身をもって感じました。
3、会社に入って全てに絶望し、死にたくなる
その後、私は会社に入社しました。
そこそこ名の知れ渡る小売店の会社に入ったのです。
(給料はそこまで高くありません)
しかし、小売店に入社してしまったので、2年間は現場で働かされていました。
小売店だからこそ、やってることは、アルバイトがやってる仕事に近かったです。
そこでは正直、低い給料と、
どうでもいいことでキレ始める頭のおかしいバイトの人たちが多かったです。
しかし、
「これに耐えて本社に行ければ、出世コース!」
と言われていましたし、その思いだけで、頑張りました。
本社にいくために、必死に頑張ったのです。
その甲斐があってか、ついに2年経って本社に行けたのですが、
実際は本社も、人間関係がきついだけの職場でした。
何よりも私がやらかしてしまったことは、
ヤバい上司に目をつけられてしまったことです。
その嫌われた理由というのは、
「その上司は奥さんと仲が悪く、奥さんが関西弁を話す人だから、関西弁を話す人が許せない」
というものでした。
ただ、それだけで嫌われてしまったのです。
正直、意味が分かりませんでしたが、
その上司は関西の人(関西弁)が本当に嫌いだったらしいのです。
「なんでこんなことで、嫌われなくちゃいけないんだ・・・・」
「ただ、関西弁が出ただけで、こんなに言われる必要があるのか?」
と1人で思わず、泣いてしまいました。
そしてその日から、
私の絶望の会社員生活が始まりました。
会社で干されているので、同僚も次第に冷たくなっていきました。
飲み会では必要以上にいじられ、「一発芸をしろよ」と言われる始末。
みんな冷ややかな目で自分を見てきたことを覚えています。
何度も面白くない一発芸を披露してしまい、
雑な扱いを受けるのが日課になっていました。
普段は会社では話しかけてもらえず、
みんなよそよそしいのです。
職場ではすぐに会話を終わらせられたり、
目も合わせてくれない。
にも関わらず、飲み会ではいじられる。
「どうして、こんな目にあってしまったんだろう・・・」
と、何度も思いました。
悩んだ結果、私は上司や色々な人に謝りにいきました。
ただ、それでも職場での雰囲気が変わることはありませんでした。
もうやめたい・・・
もう人間関係に悩まされたくない・・・
死にたい、死にたい、死にたい、
会社を辞めたい。
ただ、そう思うものの、
「会社を辞めたら、お金がないから生きていけない・・」
と思い、踏みとどまるしかありません。
「会社を辞めたいなんて、そんなこと言っても無理だろ」
と思っていました。
そして、会社を辞めるために副業を考えました。
しかし、怪しい副業ばかりが調べると出てきました。
「FX?トレード?転売??」
「こんなので稼げるのか???」
「怪しすぎる、無理でしょ。。。」
と思っていたところに、私はクラウドワークスを見つけました。
このクラウドワークスとの出会いが良くも悪くも、
私の人生を変えることになります。
クラウドワークスを見たら、案件がいっぱいあり、
「これなら稼げるかもしれない!!!」と1人で感激していました。
「これで会社を辞められるかも・・・・」と思いましたが、
私が苦労したのはここからだったのです・・・
4、クラウドワークスなんて、もう二度とやりたくない…
「クラウドワークスって土日を本気で使ったら、どのくらい稼げるのかな?」
このように思い、私はアンケートに回答しまくりました。
「もしかしたら、1万円とか、2万円とか頑張ったら稼げるんじゃないの?」
と思い、ワクワクしながら、仕事に取り組んだことを覚えています。
ですが・・・・・・・
土日をフルで使っても、2000円ほど。
2日でたった2000円しか稼げませんでした。
大体20時間くらい使っていたので、
時給換算すると、100円です。
クラウドワークスは、10円、100円などのアンケートが多く、
1000円ですら稼ぐのが大変。
というかどれを見ても、
「これ、プログラミングとかWEBデザインが出来ないと稼げないじゃん・・・」
というものばかりで、全然稼げないのです。
土日を潰して、全力でやった結果、2000円しか稼げないという事実。
それで、時給100円で働き続ける自分・・・・
「たった1000円を稼ぐために、一体、自分は何をしているんだろうか」
このように思ってしまいました。
ただ、「そんな簡単に諦めたくない!」と思い、
案件を色々と見ていきましたが、
「プログラミングのスキルがないなら、採用はできません」
「WEBデザインのスキルはありますか?ないならお断りです」
「動画編集はできないんですか?それなら大丈夫です」
と言われているような気がしてきて、心が折れてしまいました。
クラウドワークスはスキルがないと稼げない状態になっているのです。
誰でもできるような仕事しか残らず、私はクラウドワークスを止めました。
また、振込手数料を引かれて、実際に振り込まれたのは1600円ほど。
「あれだけ頑張って1600円・・・・・・」
と思うと、辛くなりました。
「クラウドワークスで稼げるなんて夢のまた夢だったんだ・・・・・」
そう思い、私は1人で絶望し続けてしまっていました。
クラウドワークスは結局、
「スキルがないと稼げない場所」
だったのです。
5、詐欺で騙されて貯金をすっ飛ばす
「クラウドワークスは全然稼げないから、これじゃダメだ・・・・・」
と思い、私は他の副業を始めることにしました。
「クラウドワークスは全然稼げないし、バイトする方がマシだ」
そう思った私は、他に稼げる副業はないのかを色々と調べることにしました。
「少しお金を払ってでも良いから、稼ぎ方を教えてくれるスクールに入りたい」
そう思ったのです。
そこで、私は色々と調べた結果、「物販塾、転売塾」に入ることにします。
期間は、2年のサポートで100万の金額でした。
「これで頑張ったら稼げるようになるかな?」
と思っていたのですが・・・・・・
ここでも更なる悲劇が襲います。
お金を払っても、全くレスポンスがなく、
次第には連絡がつかなくなり、弁護士を使っても、
お金が返ってくることはありませんでした。
残ったのは、数千円の貯金だけ。
スキルも身についてないし、
物販で稼ぐことは不可能な状況になってしまったのです。
「終わった・・・・」
そう思ってしまいました。
100万ほどの高額な塾に入ったのに、稼げずに終了したのです。
こればっかりには、私は絶望してしまいました。
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう」
この時、中学生の頃に、
私の父親がパチンコで借金して500万円を作ってしまったことを思い出しました。
「結局は自分も同じなのだ」
「自分も父と何も変わらない」
お父さんは・・・・
お父さんは・・・・
たぶんだけど、
もしかして、とても苦しかったんじゃないかな。
一人で借金500万も抱えて、誰にも話すことができなかった。
相談することもできない。
そして、おばあちゃんと、母に責められ、
怒られ続けて、蒸発してしまった。
でも、今なら分かる。
父はクソバカ親父にかわりないけど、親父も辛かったんだろうなって。
逃げ出したくて、仕方がなかったんだと思う。
苦しくて、苦しくて、思わず蒸発してしまったんだ。
その時は、なんか父親が考えていたことが、分かるような気もしました。
ただ、そうは言っても、現実は厳しい。
おばあちゃんが溜めていたお金が全部消え去ってしまった。
どうして、自分はこんなに愚かなのだろうか。
ごめん、おばあちゃん。
ごめん。
ほんとにごめんなさい。
と一人で自分の部屋で情けない声を出しながら、膝から崩れ落ちました。
「うっぅぅぅぅう・・・」
と言葉にならない声で嗚咽していました。
嗚咽です、嗚咽。
本当に苦しかったです。
「こんなことなら、地道にクラウドワークスでコツコツ稼いでれば良かった・・・」
「スキルを身につけて、クラウドワークスで仕事を取れば良かった・・・」
と思ってしまったのです。
やがて、頭がグワングワンと痛み始め、
目が回って、思わず、その週の土日は、家で寝込んでしまっていました。
自分は一体、何をしてるんだろうか。
この”現実”を受け入れようとすると、強烈な吐き気が襲ってきます。
あまりのショックでご飯が喉元を通らずに、当時5キロは痩せました。
元々、そんなに太っている方でもないので、かなり痩せてしまい、
会社の人に非常に心配されました。
「どうしたの?」
「何かあったのか?」
こう質問されても、何も答えられませんでした。
「いえ、ちょっと疲れていて・・・」みたいな感じでごまかそうとしたものの、
会社で昼ごはんを一切食べないから、より一層心配されたのです。
ただ、私は誰にも何も言えませんでした。
100万円振り込んで、詐欺られた、なんて話したら、
馬鹿にされるでしょうし、怒られると思ったからです。
私は一人で泣きそうになりながら、毎日を過ごしていました。
ただ、あまりにも人は絶望しすぎると、
それ以上落ちることがないとわかりますから、
「今よりも悪くなることはない」と逆に開き直れるようになりました。
これ以上、落ちることはない。
自分は落ちるところまで落ちた。
人間、本当に絶望すると、逆に開き直れるということに初めて気づいたのです。
ただ、
「ここで諦めて・・・・たまるか・・・・!」
という気持ちも少なからずありました。
正直、心が折れる寸前ではあったのですが、
「絶望し続けていても、会社で辛い毎日は変わらない」
という、本当に残酷なままに、「やるしかない」状況に追い込まれていたのです。
そして、私はその時に、怪しい話に逃げちゃダメだ、
「しっかりと堅実にスキルを身につけて稼ぐことに集中しよう」
「クラウドワークスで稼げるように頑張ろう」
と思い、
おうちで稼ぐことができるスキルの一つとして、
プログラミングを見つけたのでした。
過去に私が100万も払って、
よくわからないビジネスを始めたのは正直、悪手で、
こういった怪しいものに手を出す必要はなかったのです。
私は前回の失敗から、
「堅実である」
「怪しくない」
「きちんとスキルが身に付く」
という部分を死守できるものを探しました。
そして、
「真っ当にお仕事をして稼いでいく」
ということで再スタートを切ることにしたのです。
そこで私が選んだのは、
プログラミング
でした。
もっとも堅実なスキルである「プログラミング」で稼ぐことにしました。
プログラミングは、パソコンさえあれば、誰でも始めることができます。
それに、クラウドワークスにはプログラミングの案件が大量にあって、それを見かけていた部分が大きいです。
WEBデザインは自分にはセンスないし、
動画編集やライティングは、低単価な案件が多かったので、却下した形でした。
また、調べてみると、実はプログラミングは今では小学生の授業に組み込まれているほどで、
そこまで難しいものでもありません。
そして、
「プログラミングで、会社のHPやウェブサイトを作ってお金をもらう」
というシンプルな仕組みがあったので、
少なくとも詐欺られることはない、と判断。
(実際、職業として存在していたので安心です)
そうして、私のプログラミング人生はスタートしたのです。
ちなみに、Twitter(X)などで検索すれば、
プログラミングで在宅で稼いでいる人たちがたくさんいること
が分かります。
こんな感じですね。
興味のある方は実際にエックスで検索してみるといいかもしれません。
だからこそ、クラウドワークスを使えば、
自分でもプログラミングで稼げると確信しました。
ただ、最初は
「クラウドワークスを使ってプログラミングで稼ぐっていっても、どうやればいいんだろう」
という状態だったので、非常に困っていました。
最初は独学でやろうと思い、
ネットで情報を調べたのですが、
全くと言ってもいいほど、どう稼いだらいいのか分からないのです。
そこで私はひとまず、しっかりと「情報収集」をすることにしたのです。
セミナーに行ったり、懇親会に行ったり、
ネットで色々な人に相談することにしました。
・どうしたら完全初心者がクラウドワークスを使って、プログラミングで稼げるようになるのだろうか?
・何をどのくらい覚えれば、最終的に稼げるようになるのか?
これらの疑問を抱きながら、試行錯誤して、調べていきました。
すると、私が色々と方法を探して行ったら、
クラウドワークスの「正しいプログラミングの稼ぎ方」があることに気づいたのです。
また、色々なプログラマーの人に相談するうちに、
私が
「プログラミングの稼ぎ方をわかっていない」
「クラウドワークスの使い方をもっと学んだ方がいい」
ということを指摘されました。
そして、
「正しいプログラミングの稼ぎ方を学んでから、やれ」
とも言われたのです。
「たつやさんは、何も考えずに勉強しているだけですよね。」
「なんでその言語を選んだのですか?その言語よりもこっちを学んで、サイトを作った方が収入は増えやすいですよ!」
「クラウドワークスではこういう案件を取らないとダメですよ!」
などなど、私に親身にアドバイスをしてくれたのです。
「一体どういうことなんだろう?」と話をもっと聞きました。
そして本当に痛感しましたが、
「プログラミングでの稼ぎ方」を私は全然知らなかったのです。
自分が思っていた事が、それらが正しくなかったということでした。
正直、「いやいや、嘘でしょ・・・そんな簡単にうまくいくのだろうか」と、
彼らからアドバイスをもらっても、思うことがありました。
でも、たくさんの人に色々な話を聞いているうちに気づけました。
クラウドワークスを使った「プログラミングの稼ぎ方」を、
とにかく知ることが重要
ということです。
・どの言語から学んでいった方がいいのか?
・どういったサイトが作れるようになれば企業から案件を取れるのか?
・どのように動いていけば、実際に案件は取れるようになるのか?
などなどです。
これらを意識して、愚直に実践していきました。
すると・・・・・
信じられないかもしれませんが、
学習開始1ヶ月目の段階で月に14万円ほど、
クラウドワークスでプログラミングの案件を取って稼げるようになってしまったのです。
「マジかよ・・・・・」と1人で驚いてしまいましたし、
最初は全く信じられず、
「これはもはや、自分は何かの詐欺を受けたのではないか?」と
逆に怪しくて疑いに疑ってしまったほどです。
しかしその後も、学習を続けていき、
2ヶ月目で月に20万円、
3ヶ月目で月に29万円、
4ヶ月目で月に40万円、
5ヶ月目で52万円を突破。
1年が経つ頃には月、70万円ほどの収入をクラウドワークスで得られるようになりました。
「え?嘘でしょ?????」
「クラウドワークスでこんなに稼げるの????」
と呆然としてしまいました。
結局、
「クラウドワークスのプログラミングで稼げるやり方を知っているか?知らないか?」
で全てが決まっていたのです。
「よし!この調子で、がんばるぞ!」と思った私は、
プログラミングを学び続けていきました。
そうしてみるみるうちに、最終的には月80万の収入を安定して稼げるようになりました。
そして、ついに私は、会社を退職して、フリーで独立することになったのです。
独立してからは、会社の上司に悩まされることもなく、
一発芸に怯えながら、飲み会に参加することもありません。
ジリジリとなるスマホの目覚まし時計アラームに起こされることもなければ、
「明日も仕事かあ・・・」
と絶望しながら夜、布団に入ることもありません。
好きな時に好きなものを食べて、好きな生活をする。
会社を辞めてからは、本当に自分の人生が激変しました。
会社の人間関係に悩むこともありません。
本当に自由に気楽に、毎日を過ごせています。
一切のストレスから解放されました。
会社のこれまでのストレスを考えると、
自由に生きられるというのは、「気楽」で身体が軽く感じます。
また、「完全在宅」で仕事をするのが本当に気楽すぎます。
クラウドワークスをいじっていれば案件が取れますから、
安い金額でこき使われることもないですし、
単価10万円などの仕事にチャレンジできます。
また、朝起きて、
好きな時に仕事を始められますから、
疲れたら休む、やる気が出たら働くというライフスタイルです。
体調が悪い時は、家で一人で休めますし、
疲れた時には家で寝続けることができます。
ちなみに、私は物販塾で大失敗してから、
プログラミングで稼ぐまでに、
1年という時間を無駄にしてしまいました。
ただ、「正しいプログラミングの稼ぎ方」を知ると、
こうも早く、結果を出すことができるということです。
稼ぎ方がわからないままやっても、稼げずに終わります。
ですが、
「クラウドワークスでの稼ぎ方」
がわかる状態で実践すれば、
成果を出すことはできるのです。
本当にプログラミングというのは、やり方さえ間違えなければ、
正しいツールに変わるのだなと感じました。
ここに来るまで、本当に大変でしたが、
その苦しかった時期があるから、今の自分がいるのだなと思います。
そして、私はプログラミングを始めることで、
人生が大きく変わりました。
プログラミングには本当に素晴らしい可能性があります。
過去の私は全く信じられませんでした。
副業でお小遣い稼ぎでも最初はできればいいと思っていた節もありましたが、
今ではこうして、
かなりの額を稼ぐことができてしまっているわけです。
「クラウドワークスでは、やればやるほど稼げるようになる」
という魅力的な世界ですので・・・・
しかも、稼げたことで、周りの人からの印象も
「たっちゃんはダメなやつだ」というものから、
「たっちゃんはすごい人だ」というものに変わったので、
自分に自信を持てるようになったという意味でも、良かったなと思っています。
そして、「プログラミングの正しい稼ぎ方」を知らなかったばかりに、
とてつもなく遠回りしてしまったことが悔やまれます。
だから、私は、「クラウドワークスでのプログラミングの正しい稼ぎ方」を知って欲しいと思っています。
そして、プログラミングが、
それだけ人生を変える破壊力を持つことを知って欲しいと思っています。
もし、私が、プログラミングの稼ぎ方を知らなかったら、
独立することもできませんでしたし、
会社でずっと嫌な仕事をやり続けていたことでしょう、
そう考えると本当に恐ろしいです。
今とは違う人生を送っていたはずですから・・・・
人を変えるのは「知識」であると私は思っています。
正しい知識を知ることで、人は変わることができる。
少なくとも、私は変わることができました。
だからそう思うのです。
もし、できることなら、
今の自分をおばあちゃんに見せてあげたい。
でも、おばあちゃんはもういない。
今の自分が一番輝いているし、胸を張って、
おばあちゃんに会いに行ける自分になれたと思う。
でも、もういない。おばあちゃんは・・・・
ただ、もう一度、できることなら、みんなに会いたい。
おばあちゃんに、おかあさんに、おとうさんに・・・・・・
そんな風に、物思いにふけることがあります。
ただ、過去の私はあまりにも無力でした。
社会も知らなければ、お金もなければ、
何1つも自分に持っているものはありませんでした。
もし、今の自分のようにお金があったら、
力があったら、お父さんもお母さんも助けられたのかな・・・・
おばあちゃんにもっと恩返しできたのかな・・・
とも思うのです。
お金は現実的に必要です。
好きなことをするにもそうですし、
誰かを守るためにも現実的に必要なのです。
お金がなければ、まず誰かを助けることもできません。
そして、自分を満足させることもできません。
私がこうして情報発信をしているのは、
自分の人生を変える手段がプログラミングにはあるのだ
ということを知ってもらいたいと思っているからです。
何も大金を稼ぐ必要はないと思っています。
ただ、ほんの少しでいいから、
自分と誰かを助けられるお金があった方が良いということです。
お金がなければ誰も守れないのです。
お金は誰かを守るためにあります。
大切な人を守るためにもお金は必要です。
そして、大人になった以上、
それは一種の義務に近いものだと私は思います。
プログラミングで稼げるようになって、本当に人生が変わりました。
誰か困っていたら助けることができますし、恩返しをすることもできます。
そして、自分の好きなことができます。
お金に余裕があれば、自分の好きなこと、
楽しいことができるのです。
だからこそ、私はこれからもお金を稼ぎ続けるし、
「大切な人を守るためにお金を稼ぐ」
という自分の理念に共感してくれる人が増えれば、
いい世の中になるんじゃないかなと思ってます。
終わり・・
ここまで長い文章となってしまいましたが、
意外とサクッと読めたのではないでしょうか。

明日は、
「なぜ、クラウドワークスでプログラミングをやるべきなのか?そして、なぜプログラミングで稼ぐべきなのか?」
という部分を話していきたいと思います。
これを知るだけで、
今後の人生が大きく変わってくると言っても過言ではない
レベルの話なので、ぜひ楽しみにどうぞ。
クラウドワークスを使って、
プログラミングで稼ぐ上で必須の内容、
勉強になる内容も入っているので、
じっくりとお読み頂ければ幸いです。

追伸
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②講義で学べたこと(箇条書きでできる限り多く書き足してください←きちんと読んでいるかの確認です)
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をLINEで書いて送ってもらえればと思います。
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また、こちらの講義はこれから基本的に毎日1講義ずつ、配信していきますので、
毎日、上記のアンケートに答えるようにお願いします。
それでは、また明日、よろしくお願いいたします。